「小山薫堂(こやま くんどう)」さんをご存知でしょうか?
本業(?)は放送作家/脚本家で、テレビ番組のMC、ラジオパーソナリティーとしても活躍され、ブランドプロデュースの会社社長でもあり、さらには京都の料亭「下鴨茶寮」の社長でもあります。
肩書きを聞いただけで超多忙な方だということが容易に想像できますね。
マルチに活躍される「小山薫堂」さんの経歴や年収、一見本業とは関係ない料亭の社長になった経緯についても調べました。
Contents
小山薫堂さんのプロフィール・年収は?
まずは、小山薫堂さんのプロフィールから。
下鴨茶寮HPより引用 |
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名前 | 小山 薫堂(こやま・くんどう) |
生年月日 | 1963年6月23日 |
出身地 | 熊本県天草市 |
出身大学 | 日本大学 学藝術学部 放送学科 |
最終学歴は、日本大学学藝術学部ですが、クルマ(ソアラ)を買ってもらえるという約束をお父さんとしたため、防衛大学を受けたそうです。
防衛大学は学費が不要であり、学生手当(給料のようなもの)がもらえます。お父さんからすると、クルマをエサにやる気を出して合格してくれれば、経済的な負担は軽いと考えたようですね。
結果は、残念ながら不合格で、ソアラは手に入れられなかったようです。
小山薫堂さんの年収については、具体的な額はわかりませんでした。
しかし、以下に記載しましたが、多くの肩書きをもつ売れっ子の放送作家さんですから、その年収は、数千万円は確実ですね!億に達している可能性も結構高いのではないでしょうか!
小山薫堂さんの経歴
大学在学中に、先輩から文化放送のADのアルバイトの誘いを受け、文化放送の番組制作に関わったのが源流で、その縁でラジオ番組の放送作家になりました。
大学3年生の頃に、「吉田照美のてるてるワイド」の企画で、吉田照美とともにファッションブランド「バナナトリップ」を立ち上げて、店長も経験しますが、10ヶ月で閉店という経験もしています。なお、大学時代には吉田照美さんのマネージャーもやっていたそうです。
大学では3年生までに卒業単位を取得し、大学4年生は卒業制作として「放送作家長谷川勝士と北海道帯広のソーセージ職人の往復書簡をテーマに描いた「普通の生活」というタイトルのビデオ作品を提出しています。
このビデオのテーマになった放送作家の長谷川勝士さんの紹介で、テレビ番組「11PM」の作家として参加します。
そして、放送作家として独立。
深夜番組を中心に活動しましたが、「カノッサの屈辱」や「料理の鉄人」などの番組を手掛けた売れっ子作家さんです。
他にも「ポンキッキーズ」や「進ぬ!電波少年」、「パパパパパパフィー」など、関係した番組はかなり多いです。
放送作家としても売れっ子ですが、それだけではありません。
脚本家としては、「映画:おくりびと」で第32回日本アカデミー賞の脚本賞を受賞されており、同作品は第81回アカデミー賞の外国語映画賞や第32回モントリオール世界映画祭のグランプリなど、数々の賞を受賞しています。
クリエーターとして、数々のプロデュースも手掛けており、みなさんご存知の「くまモン」の仕掛け人でもあります(デザインは、アートディレクターの水島学さん)。
作家としても活動していて、小説・料理の鉄人や、おくりびとの元のお話となった「フィルム」という作品もありますし、他にもたくさんの著作・翻訳があります。
ラジオパーソナリティとして、FMヨコハマの「FUTURESCAPE」や、TOKYO FMの「SUNDAY’S POST」などに出演し、テレビのMCとしてBSフジの「小山薫堂の東京会議」などに出演しています。
これだけではありません。
新しい価値を創造し、人と社会を、元気に幸せにするというコンセプトの下、ブランドのプロデュースやブランドデザインを手がける株式会社オレンジ・アンド・パートナーズという会社の代表取締役社長。
放送作家事務所のN35の代表。
京都芸術大学の芸術学部教授で副学長でもあり、教鞭もとられています。
そして、「下鴨茶寮」という料亭の主人(代表取締役社長)もされています。
ここまでの経歴の中で、料亭の主人だけなんとなく浮いてませんか?
なぜ、料亭の主人になったのか?その経緯についても調べました。
下鴨茶寮の社長就任の経緯は?
下鴨茶寮は、京都で営業している老舗料亭です。創業は1856年と江戸時代にさかのぼります。
「下鴨茶寮」という料亭の社長に放送作家に源流がある小山薫堂さんというのはつながらないことありませんか?
小山薫堂さんと下鴨茶寮の関係は、下鴨茶寮の改革を手伝ったことに始まります。
小山薫堂さんは、世界経済フォーラムのダボス会議で、日本主催のパーティーを企画しました。その「JAPAN NIGHT2012」という和食を前面に押し出したパーティーが、世界の政治家や実業家に非常に好評だったことから、和食がこれから日本が世界で勝負していく時の武器になると思ったそうです。
ちょうどその時に、「下鴨茶寮」という京都の料亭から改革の話があり、和食の総本山である京都で料亭改革を進めることになりました。
この改革の時に、5代目女将である佐治八重子さんと一緒に仕事をされていました。
この縁があり、下鴨茶寮が売りに出された時に、女将から「買って欲しい」との依頼を受けたとか。
やはり縁でしょうか。
下鴨茶寮の社長になってから、小山薫堂さんは様々な改革を実行します。
改革のテーマは「和える(あえる)」
和食の和は、様々な国の文化を和えて、新しい文化を作り出すことを意味しているとの解釈のもとで、改革を進めています。
実行した改革は、例えば、様々な分野の著名人を招待してのトークショーやワークショップを行う「下鴨文化茶論」の開催や、アンパン製造・調味料の販売などです。
料亭とはちょっと似つかわしくないようなことを次々に実行した背景には、「料亭ではやらない」という固定概念に囚われない、挑戦を進める、「和えることによって新しい文化を生み出す」という考えがあったからでしょう。
下鴨茶寮の製品は通販でも購入可能です。
例えば、粉醤油はご飯や卵料理にかけたりして食べます。使い道は多種多様で、液体の醤油とは違った趣があります。
他にもお酒のアテにも最適なものも通販で販売されています。
こちらは、「やわらかほたて燻油漬・牡蠣の一夜干し・屋久島の鯖燻製」のセット。
料亭ならではの上品な味が自宅で楽しめます。
他にも、いろいろと商品が出ているので、是非検索してみてください。
まとめ
今回は、小山薫堂さんのプロフィール、経歴、現在の多様な肩書きについて調べました。
また、肩書きの中でも異彩を放っている、料亭の社長になった経緯についても調べました。
クリエイターとしての挑戦と、人の縁が繋いだ肩書きということで、これからもたくさんの面白いことを発信してくださりそうですね。
そして、クルマ好きとしても知られる小山薫堂さん。愛車遍歴については以下の記事でどうぞ。
最後までご覧いただきありがとうございました。
2020-05-08